約束





「はあ、退屈だ」

 レインはベッドの上でそんな不満を口にした。
 ここは陽だまり邸。
 一度焼け落ちた屋敷跡に、以前と変わらぬものを立て直したものだ。
 正確に言うならば、二代目陽だまり邸。
 その一室で、レインの退屈は限界に達していた。

 ――――倒れてから、一週間が経とうとしている。

 あとで聞いた話だが、まず研究室で倒れているレインを発見したエレンフリートが、ジェットにレインを担がせて、陽だまり邸へ急いだそうだ。
 ちょうどエレンフリートが元オーブハンターたちに、レインのことについて相談を持ちかけていたこともあり、ニクスはすぐさま医者を手配し、世界を旅していたジェイドやヒュウガまで急いで駆けつけたという。

 別々の道を歩み始めたというのに、かつての仲間のために集まってくれるのは、大変有難いことだと、目が覚めてからレインはしみじみ思った。

 レインが目を覚ましたことを確認してから、ヒュウガはまた旅へと戻っていった。
 ルネからはお見舞いのケーキが山ほど送られてくるわ(勿論多大な嫌味が込められている)、ベルナールとロシュには散々説教されるわ、やることがなくて暇とはいえ、いろいろあった一週間だった。

「何を言っているのです。これはあなたへの罰ですよ」

 昼食を運んできた給仕の後ろから、屋敷の主が現れた。
 そのとたん、レインの表情が、「げっ」と歪んだ。

「・・・何やら愉快な反応ですが、休養期間を一ヶ月ほど延ばしても良いのですよ?」

「やめろ。あんたが言うと、外の奴らが本気にするだろ」

 レインはため息をつきながらドアを指した。

 ここからでは見えないが、実はドアの外にはジェットが控えている。
 エレンフリートの厳命で、レインが脱出しようとしたら体を張って止めろと言い渡されているのだ。
 以前一度脱走されていることもあり、これには意外とジェットもやる気を燃やしている。

 しかも窓の外から見える庭には、ジェイドが待ち構えていた。
 庭掃除をしながらも、ちらりとレインが視線を落とすたびに、下の彼は顔を上げてにっこり笑いかけてくる。

 さらにこの屋敷の主はニクスだ。
 これでは逃げる気も失せた。

 そんなわけで、この一週間、レインはベッドの上しか居場所がなかった。
 食事のときでさえ出してもらえないのだ。
 部屋を出るときは常にジェットや屋敷内の使用人が必ずついてくるという徹底振りだ。

「それだけ周りに迷惑をかけたということです。十分反省して、大人しくしていてくださいよ。まったく、世話をするのはこれっきりですから」

 仕事の合間に様子を見に来るエレンフリートは、レインの顔を見るたびに嫌味を重ねていったが、今回については、彼に一番迷惑をかけたことをレインは自覚していた。

「私は、常々思うのです」

「ん?」

 レインはスープを口に運んだスプーンを行儀悪くくわえたまま、突然口を開いたニクスに視線を向けた。
 ニクスはそっとレインの食べている食事を指差す。

「あなたは疑問には思わないのですか。もしかしたらその食事には、私が毒を盛っているかもしれないのですよ」

「はあ?」

 かつて、エレボスに憑依されたニクスは、アンジェリークやレインたちに刃を向けてきた。
 世界を危機に落とし、絶望の対象となった。

「あなた方は、もっと私を恨んでいいのです」

 そのためにアンジェリークは女王になったのだから。

「ですが今回も、誰も疑うことなく前と同じように接してきている・・・」

「何だ、そんなことを悩んでいたのか」

 レインはフォークでサラダのトマトを刺すと、迷うことなくそれを口に運んだ。

「あんたはエレボスじゃない。それは分かりきったことだ。あんたの意思じゃなかっただろう?」

「・・・・・・」

「現にオレたちははっきり見た。エレボスとの対決のとき、オレたちと一緒にエレボスに立ち向かうあんたの姿を」

 レインはニクスに見せ付けるように食事を続ける。

「そんなことは誰でも知っている。だからエレンだってあんたを頼ったし、誰も恨んでなんかいないんだ」

 あっという間に昼食はレインの胃袋に消えてしまった。
 やることがなくて、部屋にこもっているだけでもお腹は空く。
 満腹になったレインは、思い切り伸びをした。
 一週間もベッドの上にいては、休みすぎて体がなまってしまう。

「まったく・・・」

 不意にニクスはため息をついた。

「病人に励まされてしまうなど、私としたことが」

「冗談じゃない。誰が病人だ。オレはもう大丈夫だといっているだろう」

「そのようですね」

「え?」

 虚を衝かれたレインにふと笑いを浮かべるニクスは、いつもの彼に戻っていた。

「今日は久々に夕食会を開きましょう。皆を呼んで。ああ、早速手配しなくては」

 そう言ってニクスは、部屋を出て行ってしまった。
 と同時に、食器を持った給仕も一緒にいなくなる。
 急に一人になったレインはしばらくぽかんとしていたが、どうやら今晩限りで解放されることに、ほっと息をついた。

 この一週間、レインの胸の中にあったのは、アンジェリークへの思いだった。
 正直、すぐにでも戻って研究したかった。
 が、それ以前に、心配をかけてしまった人たちを安心させるために、レインはおとなしく彼らに従っていたのだ。

「アンジェ・・・」

 レインは目が覚めてから、真っ先に自分の左手の薬指を確認した。

 そこに輝く緑色。
 何と美しい輝きだろう。
 アンジェリークとの逢瀬が、ただの夢ではないと証明してくれるそれを見るたびに、ほんのりと幸せな気持ちになれる。

 ただ、満たされるわけではない。
 本当にこの胸を満たすのは、彼女が隣にいるときだ。

 ――――アンジェ。

 レインは心の中で呼びかける。

 今度は、オレのほうからお前に会いに行くよ。

 会って、言えなかった言葉をちゃんと伝えるから。

 伝えたら、お前は受け入れてくれるか?

 受け入れて、オレのそばにいてくれるか?

 お前がオレのそばにいてくれたら、オレは心から幸せになれるんだ。

「ん?」

 気がつくと、いつの間にかベッドの隅にエルヴィンが座っていた。
 彼女が可愛がっていた猫は、のんきに「ニャア」と鳴いた。

「そういえば、お前とは全然会っていなかったよな」

 レインはエルヴィンを抱えあげると、自分のひざの上に載せる。

「元気そうだな」

 大人しくし撫でられているエルヴィンを見ていると、何故か優しい気持ちになれた。
 アンジェリークの猫だったからだろうか。

「・・・お前の拾い主は、空の上で頑張っているぞ」

 エルヴィンはアンジェリークのことを覚えているだろうかと、ふとそんなことが浮かんだ。

「アンジェリークに会いたい・・・きっと、あいつに拾われた者同士、その思いは一緒だよな」

「ニャア」

 賛同するようにエルヴィンが鳴く。

「大丈夫だ。オレが会わせてやるから」

 レインはエルヴィンの頭を何度も撫でながら、誓いを立てるように呟いた。

「オレが、会いに行くから・・・」




















「今日も、アルカディアは平和ね」

 アンジェリークは目の前に広がる美しい世界に、目を細めた。
 青い海と緑色の木々、どっしりした茶色の大地――――遠く離れていても、人々の喜びの声が聞こえてくるようだ。
 悲しみはない。
 それがアンジェリークには嬉しかった。

 それともう一つ。
 アンジェリークは左の薬指に視線を落とした。
 緑色。
 石の色は、地上にいる彼とつながっている証拠に、今日も緑色に輝いていた。

「もう、寂しくなったりしないわ」

 レインとつながっていると、実感できるから。
 彼と離れていても、こうしてみると見えない赤い糸でつながっているような気がした。
 レインは、元気にやっているだろうか。

 アンジェリークは、彼の夢の中で会って以来、アルカディアの彼の様子は見ていない。
 きっと、もう大丈夫だから。
 心配しなくても、彼は新しい一歩を踏み出しているだろう。

 ――――それに。

 アンジェリークの胸はちりりと痛んだ。
 あの逢瀬から、アンジェリークにとってはそれほど時間が経っていないが、地上ではどれほど時間が経っているのか分からない。
 どんなレインでもレインだが、自分と彼の差を感じてしまうのがつらかった。

「大丈夫。もう泣いたり恋しがったりしないから」

 アンジェリークは隣で心配そうにしている宇宙意思にそっと語りかける。

「私も大丈夫。だって、レインが約束してくれたもの」

 オレはお前に会うための方法を、必ず見つけ出してみせる、と、レインは言ってくれた。
 そして、次に会えたら、レインは彼の思いを告げてくれると。
 その約束があったら、いつまでも待っていられると思った。

「レイン・・・」

 あの時言えなかった言葉は、まだ胸の中に大切にしまってある。
 もう二度と会えないと思っていたから、この想いだけは、彼に伝えておきたかったのだ。

 けれど、レインは「次」を約束してくれた。
 だから、その「次」が来たら、アンジェリークも伝えようと思う。
 彼への、大切な気持ちを。
 彼は、受け入れてくれるだろうか。
 もし、この思いを彼に告げることが出来たら・・・。

 そのとき、床を踏みしめる音が聞こえて、アンジェリークははっとした。
 ここには一人しかいないはず。
 宇宙意思は体を持っていないから、足音なんてするはずがないのだ。
 それなのに――――

「ここが、聖地・・・なのか?」

「!?」

 独り言のような呟きが聞こえたとたん、アンジェリークは心臓が掴まれた思いで、慌てて立ち上がった。
 いとおしい声。
 ずっと、ずっと、聴きたいと思っていた・・・。

 勘違いじゃ、ないわよね?

 急に涙がこみ上げてきた。

「ああ、アンジェ・・・」

 足音はだんだんと近づいてくる。
 アンジェリークは零れ落ちる涙を、どうしても止めることが出来なかった。
 自分のすぐ後ろまで来て、ぴたりとその足音はやんだ。
 そして聞こえた声。

「約束通り、会いに来たぜ」

「っ!」

 その声に、アンジェリークは泣き顔を笑顔に変えることもできなくて、そのまま振り返った。
 アンジェリークが振り返った先。
 そこにいたのは――――









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