あなたにあいたい 

   


「き、きゃあああっ!!」
 厳かな雰囲気をかもし出す大広間に、まったくそぐわぬ素っ頓狂な悲鳴が響き渡った。
 直後、どしん、という効果音まで部屋の隅々まで、余すところなく聞こえた。
 その場にいた誰もが大きく目を見開いて、その音のもとへと目を向ける。
「い、いたた・・・なんだったの? あれ・・・? ここは?」
 どこからか降ってきた――普通そんなことはありえないが、そうとしか表現できない――のは、まだ年端も行かぬ娘だった。
 年のころはこの城の姫と同じくらいであろうか。
 見慣れぬ着物を着ている。
 もっと注意深い人物は、この娘と姫の面差しがなんとなく似ていることに気がついただろう。
 その娘も辺りを見回して首をかしげている。
 もちろん、その場にいたものも、得体の知れない娘を前に言葉を失っている。
 そんな中、真っ先に混乱から回復したのは、この城のお騒がせ姫、初姫だった。
 大きく目を瞠りながらも、ゆっくりとその娘に近づく。
「さ・・・紗依? 紗依ではないか。なぜおぬしがここにおるのじゃ?」
「あっ、初姫さん!?」
 娘も姫も、お互い面識があるようだ。
どんな知り合いなのかと首をかしげるものは、意外と少ない。
姫のすることにいちいち不思議がっていては、この城に仕えることなどできないのだ。
「私、また過去へ来られたんですね!」
 初姫を確認した娘――紗依は、飛び上がらんばかりの喜びを表情に浮かべた。
「ま、まて、わらわにはちっとも分からぬ。わらわとおぬしが一緒におるなど・・・」
「姫!」
 かわいらしいかんばせを苦渋にしかめ考え込む初姫に、お付きである宗重が近寄ってきた。
「姫、そのものは誰なのですか。娘、姫の知り合いか知らぬが姫の婚礼を邪魔するとはどういうつもりか」
「えっ。婚礼?」
 言われてはじめて、紗依は初姫が白無垢姿であることに気がついた。
 隣には、幼いながらも正装した男の子がいて、大広間にはしかめ面のお侍がずらりと勢ぞろいしている。
 見慣れた大広間――以前、心ノ介を見送ったところだから――には、ただならぬ空気が漂っていた。
 もっとも、その原因の大半は紗依の出現だったりするのだが。
 紗依を問いただそうとする宗重にひとつ舌打ちをすると、初姫は紗依の腕をつかんだ。
「ええい、ここでは色々面倒じゃ。紗依、ここは逃げるぞ!」
「えっ、あ、はい!」
 走りにくいはずの重い衣装も、この姫にかかっては意味がないらしい。脱兎のごとく、まだぼんやりしている家臣の中を駆け抜ける。
「あっ、お待ちくだされ、姫!」
「ご、ごめんなさい、宗重さん!」
 謝りながらも、初姫に手をひられるまま、紗依も走り出した。

「ふう、ここまで来れば、誰も追いかけてこぬだろう」
 途中重い衣装を何枚も撒き散らし、軽装になった初姫は、この部屋にたどり着いたとたん、ほっとしたように胸をなでおろした。
 どこをどう走ったのかは分からないが、誰かの部屋らしい。
 少なくとも、初姫の部屋ではない。
「ここは・・・?」
「ん? 誰も近寄りたがらぬ場所じゃ。それはともかく」
 そこで言葉をとめると、初姫はぴしっと紗依を指差した。
「きっちり説明してもらおうか。おぬしはなぜここにおるのじゃ」
 決まった・・・とかみ締めている初姫に、しかし紗依は困った顔をするのが精一杯だった。
「それが、私にも全然分からなくて・・・」
「分からぬことはないだろう。どうしてこちらへ来たのじゃ。こう、呪文を唱えたとか、魔法陣を書いてみたりとか、そういうのはせんかったのか?」
「してません」
「むう、きっぱりか。その切れはほめてやっても良いが、今ひとつひねりがないのう」
「何の話ですか?」
「ん、まあ、よいよい」
 ひとつ咳払いをすると、改めて初姫は紗依をまじまじと見つめた。
「幽霊、というわけでもなさそうじゃしのう。本物と見るしかないか。しかし、本当にどうやってこちらにきたのじゃ。おぬしの体ごと飛ばされるなど、そんなことが・・・」
「私にも分からないんですが、ペンダントが急に光って・・・」
 紗依は首から提げた、緑色の石のはめ込まれたペンダントをなでた。
「気がついたらここにいたんです」
「とはいえ、何かきっかけがあったのじゃろう? 何か願いでもかけたか?」
「そ、それは・・・」
 急に声を小さくして顔を俯けてしまった紗依の姿に、勘の良い初姫はぴんときた。
「心、か?」
「・・・はい」
 初姫に隠しても仕方ない。紗依は素直にうなずいた。
「私、どうしても、心さんに会って、話がしたいんです」
「・・・もしかして、おぬし、あれを見たのか?」
「あれ、というと・・・?」
 それは、と説明しかけた初姫の口は、しかし、次の瞬間、驚きの声をあげていた。
「わっ!」
「きゃあっ!」
 と同時に、紗依の口からも同様の声が上がった。
「姫、ご無事ですか?」
「僕たちが来たからには、もう安心していいからね」
 突然現れた二人組に、初姫は小さいほうにかばわれるように後ろへ追いやられ、紗依は大きいほうの男に後ろから動きを封じられた。
 その手並みがあまりにも鮮やかだったので、思わず紗依も初姫も見とれてしまった。
 が、現状はそれほどのんきにしてはいられない。
「さて、姫を誘拐したというのは、あなたのことですか。姫と同じくらいのお嬢さんが、なぜこのようなことを? 良かったら拙者に話してくださいませんか。何なら今夜、一晩かけて・・・」
 冗談なのか本気なのか、大きいほうは紗依を抱きしめるようにその見に腕を回すと、耳元で甘くささやき始めた。
 聞き覚えのある低音は、紗依の頭を真っ白に染めたが、そのような状況に陥りながらも、紗依は大きな声を上げた。
「棒さん、は、放してください!」
「!」
 その一言に、背後の人物と、初姫をかばっている少年はお互いの顔を見合わせた後、驚きの表情を紗依に向けた。
「棒、知り合いなの?」
「いや、一度会った女子は絶対に忘れない。さてはあなたは、人の名前と寿命が分かってしまう目をお持ちなのですか?」
「持ってません」
 にわかに目を輝かせた大きいほうの男――泰之丞に、紗依はきっぱり首を振った。
 また変なことを言って、と思いながらも、同時にたまらなく懐かしさがこみ上げてきた。
 何故かあの逃亡劇が、ずいぶん前のことのように思える。
 そして、自分のために命を張ってくれた恩人と、また再会できたのだ。
 冷静にいろというのが無理な話。
「っ・・・」
 突然こみ上げてきた涙を、紗依は止めることができなかった。
「ど、どうしちゃったの、急に!?」
 小さいほうの少年こと、用三郎が紗依の涙に虚を衝かれて目を見開いた。
 泰之丞も、驚きながら、しかしそこはさすが。
 そっと紗依の涙をぬぐってやる。
「涙はあなたには似合いませんよ」
「こら、棒! 気安く紗依の腰に手を回すでない!」
 初姫は、お行儀の悪い子どもをしかりつけるように、ぴしゃりと泰之丞の手を叩いた。
「まったく、油断も隙もないのう。わらわの命の恩人に変なまねしたら、月に代わってお仕置きじゃぞ」
「紗依・・・?」
 打たれた手をさすりながら、泰之丞はポツリとその名を口にした。そして改めて紗依を凝視する。
「では、このお嬢さんが、あの時我々がお守りした姫なのですね」
「え?」
 思いがけないことを口にした美貌の剣士に、今度は紗依が目を見開いた。
「棒さん、どうしてそれを・・・」
「僕たちがお城に戻ったときにね、お姫様が説明してくれたんだよ」
 用三郎がそう言ってにっこり笑った。
 そんな男二人に、初姫は限りなく冷ややかな視線を送っていた。
「調子の良い奴らじゃ。わらわが説明したときには、誰も信用せんかったくせに」
「だって、自分を助けたのは、未来から来た少女だ、なんていわれても、普通すぐには信じられないって」
「いえ、姫。この泰之丞、はじめから姫の言うことを信じておりましたよ」
「あーっ! 一人だけ何抜け駆けしようとしてんの! そんなこといったら、僕だって分かってたもん。あのときのお姉ちゃんとお姫様はぜんっぜん違うもんね。なんつーかもう、姫としての器が違うもんね!」
「・・・ほう、本人を前に、ようそこまではっきり言えるのう」
 ぽきぽきと指を鳴らし始めた初姫に、果てしなく黒いオーラを感じた紗依は、とりなすようにあわてて話題を戻した。
「そ、それじゃあ、皆さんは私のことをご存知なんですか?」
 やや声が弾んでしまったのは、わずかな希望が胸を掠めたからだ。
 もしかして、心ノ介もこのことを知っているのか。
 もし知っていたら、何か違うほうへ事態は向かうのではないか。
 そんな期待を込めた一言だったが、申し訳なさそうに、だがはっきりと泰之丞は首を振った。
「我々、姫の囮部隊のものは姫の説明を受けました。ですが、心はもう出立したあとでしたので」
「・・・心、あれ以来望月藩の話には触れたがらないんだ。再会した後、お姫様の話を伝えようと思ったんだけど、すごい剣幕で怒られちゃってさ・・・」
「心さん・・・」
 きゅっと紗依の胸が痛んだ。
 やはり、私は嫌われてしまったのだろうか。
 急にしおれてしまった紗依に、やっと思い出したように初姫がぽんと手を打った。
「そうじゃ、紗依。さっきの続き! おぬしがなぜこちらの世界に来られたのか、それはもう追求せぬ。じゃが、そのきっかけとなったのは、もしやあの文箱の中身を見たからではないか?」
「えっ!」
 うなだれかけた紗依の顔が跳ね上がった。
「どうしてそれを知っているんですか?」




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