あなたにあいたい
3
歴史資料館に残っていたあの文箱。
中身は刀の鍔が納められていた。
それとともに、短い一言も。
それは、部長の推測によると刀の鍔の持ち主が書いたものらしい。
その持ち主とは、心ノ介のことだ。
彼が残したそれを、どうして初姫が知っているのか。
驚いた紗依の反応が、実に心地よかったのだろう。初姫は胸を張って高らかに宣言した。
「聞いて驚くが良い! あれはわらわが埋めたものよ!」
「え・・・えええっっ!?」
素っ頓狂な声が部屋中に響き渡った。
さらにそれが姫のご機嫌を良くした。犯人を追い詰める探偵のような口調で、初姫はわざと回りくどい説明をする。
「ふっふっふ。やはりの。わらわの思うたとおりじゃ。あれを見て、冷静になどしておれぬと思ったわ」
「ちょっ・・・ど、どういうことなんですか?」
「まったく、姫の思惑が的中するとは・・・思いもしませんでした」
「ほんと。でも、お姉ちゃんがあれを見てくれたって事は、僕らの苦労も報われるってものだね」
「え? え? 棒さんや用ちゃんも知っているの?」
混乱のきわみにある紗依に、泰之丞はふふふと笑って見せた。
「あの見事な手、あれは心には無理です。あの文を書いたのは拙者ですよ・・・文面は、姫が考えましたが」
「えっ!」
「あ、ちなみに心の鍔ぱくって来たのは僕。結構苦労したんだよ」
「ええっ!」
「そして脚本、演出、監督がわらわじゃ。思い切って望月藩の秘蔵の文箱を土に埋めてやったわ!」
「えええっ!?」
それぞれが胸をそらして己の仕事を誇るのに驚かされっぱなしの紗依の耳に、さらにこの上なく恨めしそうな声が聞こえてきた。
「あーあ。あれを埋めたのは拙者なのに。てゆーかさ、誰も拙者がいないこと気づかないし。さっき紗依と顔だってあわせたのに」
「!」
その嘆きがあまりに悲壮に満ちていたので、はっとして紗依は少しだけあいている障子の奥に目を凝らした。
「あっ、宗重さん!」
そういえば、大広間であった。
あの時は何が何だか分からなかったし、とりあえず大勢から逃げなくてはと思っていたので、再会の喜びをかみしめる暇もなかったのだ。
だが、中年にもなった大きな子どもは、やっと自分に気がついた紗依の様子に、さらに傷ついた様子だ。
「いいんだ、どうせ、拙者なんて。地味だもん。地味なおっさんだもん」
「す、すみません。本当に私・・・」
「あーあ。完璧にすねちゃったね」
見事にいじけてしまった宗重にどう声をかけて良いか分からないでいる紗依に代わり、初姫が、
「ええいっ! うっとうしい!!」
容赦なく宗重のすねを蹴り上げた。
「ぐはっ!」
見ているほうまで縮み上がるような強烈な、しかし見事な一撃だった。
「大の大人が見苦しいわ! もっとびしっとせんか、女々しい!」
「姫、今のセリフは男女差別ではありませんか。そもそも男が強くなければならないというのは・・・」
「やかましい!」
長くなりそうな宗重の語りを、すっぱりと初姫は切り捨てた。余人にはなかなか真似のできない気持ちよいツッコミである。
しばらくはぶつぶつと文句をこぼしていた宗重であったが、周りの白々とした視線に気がついたのか、ひとつ咳払いをすると表情を改めた。
「それにしても姫。またこのようなところへ来て・・・」
「どうじゃ。この部屋には誰も近づかんじゃろう?」
「本当に困ったものですな」
胸を張る初姫にため息をこぼす宗重。ふと疑問に思って紗依は首をかしげた。
「そういえば、ここって誰かのお部屋なんですか?」
「おお、そうじゃ。大野治基の部屋じゃ」
「えっ!?」
これには紗依だけではなく泰之丞や用三郎も驚いた。
紗依の脳裏に、あの個性的な感性の持ち主の元目付の顔が浮かぶ。
直接面識はなかった。だが、顔は知っている。
初姫の命を狙った張本人。
あの逃亡劇の元凶の人物だ。
初姫が無事に帰ると家臣は大野のもとへと急いだ。
あちこちを捜し、身柄を確保しようと最後に駆けつけたこの部屋で家臣たちが見たのは、己の腹に刀を突き立てて果てた大野の姿だった――――
「血のあとは、さすがにもうないのう」
「当たり前でござる。そうでなければ死んでも姫をここには入れさせませぬ」
「大げさじゃ・・・」
そう返した初姫の口調は、信じられないほど弱々しい。
驚いて紗依が彼女を見ると、向こうも紗依を見返した。
「おぬしは、自分を狙った男を悼んでいるわらわを、おかしな奴だと思うかも知れぬ。じゃが、先の一件、わらわは考えさせられた」
「初姫さん・・・?」
「確かに、あ奴のやったことは許せぬ。わらわの命を狙うなど。
・・・しかしな、その理由がこの藩のことを思ってのことじゃったら、わらわにも反省すべき点はあるのじゃ」
初姫は紗依から視線をはずすと、ぐるりと部屋の中を見回した。
「わらわとて一人の人間。自分の思うとおりに生きていたい。じゃが、わらわは姫じゃ。姫じゃから今まで不自由なく暮らせてきた。わらわが姫でなかったら、こんなに自由には暮らせてこなかったであろう。
――――幸せに暮らしてきた分、わらわにはそれに対する責任がある。望月藩を存続させていくという責任がな」
静かに、だがしっかりと初姫は己の拳を握り締めた。
「それなのに、わらわはそれが分かっていなかったのじゃ。わらわがえらいのではない。わらわが姫じゃから。望月の名をつなげていく責任があるから、皆わらわに従ってくれたのじゃ」
「・・・・・・」
「じゃからな。大野の気持ちも分かるのじゃ。好き放題やって、挙句に藩のことも知らぬ、などといったら誰であっても将来に不安を抱くであろう。大野は望月藩皆の意見を代表してくれたに過ぎぬ。あやつが全て悪いのではない」
「初姫さん・・・」
「姫・・・」
思わぬ告白に紗依よりも、今まで長いこと一緒にいた宗重のほうが衝撃は大きかったようだ。信じられないものでも見るかのように、ただ自分の主人を見つめている。
「じゃからな、繭澄の次男坊との結婚も受け入れたのじゃ。
・・・わらわを救ってくれた紗依でさえ、好いた男と結ばれなかったのに、わらわだけがのうのうと自由に生きるわけにはいかぬと思ったのじゃ」
「初姫さん・・・そうだ! じゃあ、さっきみんな集まっていたのって、結婚式だったんですか?」
「うむ」
なかなか似合っていたじゃろう? と初姫が笑う。
しかし、紗依は一緒に笑えなかった。
「・・・僕たちも、知らせを聞いたときは驚いたよ。まさか、って」
「じゃあ、二人がこのお城にいたのは、結婚式に呼ばれたからですか?」
「そ。といっても、僕たちは中に入れないから、外に控えていたんだけどね」
紋山や一刀斎には連絡がつかなかったのだという。
心には、一応話は通っているらしいが、見ての通り来てはいない。
「わらわは藩のために結婚を決めた。想い人とは一緒になれぬ。じゃから、賭けをしたのじゃ」
「賭け?」
「そうじゃ。それこそがおぬしが見つけた文箱よ」
「えっ!?」
ようやく紗依は先ほど話題に上がりながらも、途中になってしまっていた文箱の存在を思い出した。
「心が今でもおぬしを好いているのは間違いない。じゃから、あの文箱が遠い未来のおぬしに届けばよいと思った。
届くかどうかは分からぬ。それでも、その文箱をおぬしが見つけて、それで少しはおぬしの慰めになれば、それでよいと思ったのじゃ・・・・・・最初は」
「・・・最初は?」
そうじゃ、と初姫がうなずいた。その顔にはもう、先ほどまでの悲壮感はすっかり消え去っていた。
「まさか文箱を見つけたばかりか、再びおぬしがこの時代に戻ってこようとは! しかも心を思ってじゃろう? こんな奇跡、まずない!」
「は、初姫さん・・・?」
急にいつもの彼女に戻ったせいで、一同はその変化についていけなかった。
その間に、さらっと、ごくごく自然に、彼女はとんでもないことを言い出した。
「紗依だって心を追って時代すら越えてしまったのじゃ! わらわもこの結婚をやめて、好いた男と結婚する!」
「え・・・」
「えっ!」
「な・・・!」
「なにいいいっっ!?」
一番驚いたのは言うまでもない、宗重である。
「今更何を言っているのですか! 結婚式の途中なのですぞ!? そんな勝手なまね許されません!」
「ええいっ、うるさい! わらわは決めたのじゃ! 紗依が心とむすばれたら、わらわだって幸せな結婚生活を送りたい!」
「送りたいって! てゆーか、それ以前に姫の思い人とはどこの馬の骨です! 望月藩の姫に手を出すなぞ、万死に値します! 拙者の刀の錆にしてくれましょうぞ!!」
「馬鹿か、おぬしは! 自分を斬りつけるなど、切腹でもするつもりか!」
「・・・・・・え?」
これには宗重以外の三人も思わず自分の耳を疑った。
そんな中で一人冷静な――――否、暴走しているだけかもしれないが――――初姫は、今度ははっきりと、そして高らかに宣言した。
「わらわは宗重と結婚する! もう決めたのじゃ!」
照れも恥じらいもない、実に堂々とした告白だ。
こんなにはっきりと自分の気持ちを伝えられたらと、紗依は初姫を羨望のまなざしで見つめた。
最初はびっくりしたものの、もちろん、初姫の決意には賛成である。
「私も、初姫さんには幸せになってほしいです。再婚、おめでとうございます」
「あ、そうか。わらわは一度結婚をしてしまったから、いきなりバツイチか。まあよい。そんなことを気にする宗重ではない」
「そうですよ。宗重さんは全然気にしませんよ」
楽しそうに談笑する二人に対し、男三人はぽかんとしたまま、まだ夢と現実の狭間をさまよっている。
特に宗重は、いまだに初姫の言ったことを自分の中で理解できない様子だ。
そんな宗重の腕を、初姫はぐいとつかんだ。
「否とは言わせぬ! さ、皆に説明しに行くぞ」
「は? いえ、ひ、姫! 冷静になってくだされ! 拙者は姫の家臣ですぞ? それが姫と結婚など・・・」
「ばか者! 男がそういうことを言うから、女は傷つくのじゃ! 覚悟を決めよ! それとも・・・」
急にしおらしくなって初姫はうつむいた。
「おぬしはわらわでは不満か?」
「そ、そんなことござらぬ!」
「じゃあ良いではないか」
珍しくおとなしくなった初姫につい本音をこぼしてしまった宗重は、激しく己と葛藤しているらしく、頭を抱えてしまった。
「拙者が、姫と・・・? 姫が拙者と・・・・・・拙者が姫で、姫が拙者で・・・・・・いやいや・・・」
「完全に混乱しているね」
「だらしのない男じゃ」
すっぱり未来の旦那をそう評すると、初姫は表情を改めて紗依に向き直った。
愛らしい大きな瞳には、未来に対する決意と自信がみなぎっている。
「そんなわけで、こちらの心配は要らぬ。じゃから、おぬしはただ、心のことだけを考えよ」
「初姫さん・・・」
「二人が城に戻ってきたら、わらわたちの祝言を挙げる。おぬしにはわらわの結婚もかかっているのじゃ。今度はうまくやるのじゃぞ」
「・・・はい!」
と、初姫は急に声のトーンを落として、紗依の耳元でぼそりと付け加えた。
「良いか、もしものときは既成事実を作ってしまえ。男など、それで逃げられなくなるわ」
「は、初姫さん!」
真っ赤になった紗依を笑い飛ばすと、初姫は今度は傍らに控えていた二人に眼を向けた。
「おぬしたちに紗依を預ける。無事心のもとへ届けよ」
「・・・仕方ありません。これも紗依の幸せのため。その任、お受けいたしましょう」
「大丈夫。心がまたお姉ちゃんを捨てたりしたら、今度は僕がお姉ちゃんをもらっちゃうから」
「・・・用、それは不公平だ。拙者も・・・」
「下らぬ言い合いをしておる暇があったら、一刻も早く出立せよ!」
ささ、早く早く、とせきたてる初姫に、泰之丞も用三郎も渋々従う。
それでも先ほどの決着はまだついていないらしく、二人の間にはいまだ火花の残り火が散っていた。
「おぬしも、早く心のもとへ急げ。
・・・心はまだおぬしの存在を知らぬ。顔も違うしな。説明しても分かってもらえぬかも知れぬが、心を納得させる覚悟はあるか?」
言われてはじめて、ただ再会すれば良いというわけではないことに、紗依は不安を抱いた。
自分は未来の人間で、初姫の体に乗り移っていたことを彼に説明しなければならない。
姿かたちは初姫と違う。
――――もし、心ノ介に信じてもらえなかったら?
――――もし、紗依の姿を見てがっかりされたら?
懸念など考え出したらきりがない。
だが。
「・・・今度こそ、心さんをひきとめます」
ずっと心ノ介の背中に、届かぬ叫びを投げかけ続けた毎日。
しかしここへ来て、千載一遇のチャンスを得た。
もう、遠くから彼を思って、もう会えないのだと絶望する状況ではない。
もしもこの機を逃してしまったら、一生心ノ介とは一緒になれないだろう。
――――そんなのは嫌だ。
心ノ介と一緒にいられるようになるのなら、どんな苦難も乗り越えて見せる。
その覚悟があれば、紗依は何でもできてしまえる気がした。
そんな紗依を見た初姫は、にっこりと微笑んだ。
「頑張れ、紗依」
「はい。ありがとうございます」
紗依が一礼し終わるや、泰之丞がそっと手を差し出した。
「では、参りましょう」
その隣では、同じように手を差し出しながら、用三郎が障子を開けてこちらを振り返り、
「僕たちがついているから、お姉ちゃんは何にも心配しなくていいよ」
さあ、と紗依を促す。
紗依はうなずくと二人の手をとった。
「よろしくお願いします!」