あなたにあいたい

   4


 あれから望月藩は、天地を揺るがすほどの大騒ぎになった。
 当然だ。
 結婚式当日に結婚キャンセル。
 さらに新たな婚約会見。
 しかもそれが姫の家臣となれば、皆が度肝を抜かすのは当然のことだ。
 爺などは、卒倒しているかもしれない。
 少し気の毒だと思いつつも、その混乱に乗じて紗依たちは城を抜け出した。
「心の居場所なら、僕たちに任せて」
 その言葉の通り、旅路は大変安定したものだった。
 何かと二人が紗依を気遣ってくれるのだ。
 それに今回は、誰かに命を狙われるような旅ではない。
 次々に変わる景色を泰之丞があれこれと説明して、紗依の心を和まそうとする。
 茶屋を見つけては用三郎が甘いものを勧めて、紗依の疲れを癒そうとする。
 それぞれの優しい気配りに、紗依はただただ頭を下げるばかりだ。
「じゃあ、今日はこの辺で休もうか」
 そろそろ日が暮れようかという時分。
 図ったようにタイミングよくたどり着いた宿場町で、三人は宿をとることにした。
「宿を探してくるよ。ちょっと待っててね」
 そういうや否や、用三郎は風のように身を翻した。
「紗依、疲れてはおりませぬか?」
 気遣わしげに覗きこんでくる泰之丞に、紗依はにっこり微笑んだ。
「はい。大丈夫です」
「今日はよく頑張られた。女子の足で、今日一日でここまで来るとは思いませんでした。これならば、目指す場所にも早々辿り着けましょう」
 その言葉に、紗依はどきりとした。
 心ノ介に会いに行っているはずなのに、こうして段々距離が詰まっていくにつれ、胸が苦しくなるのだ。
 自分のいつもの良くない癖。
 不安ばかりが先行して、しり込みしてしまう。
 本当に、会っても大丈夫?
 心さんは、迷惑に思ったりしない?
 とたんに暗くなった紗依の顔に、すかさず泰之丞が言葉を続ける。
「紗依は・・・」
「え?」
「紗依は、あなたと別れた後の心を知らないでしょう。あいつは、相変わらずどうしようもない馬鹿です」
「棒さん、それは・・・」
 言い過ぎでは、と続けようとした紗依の言葉に、泰之丞ははっきりと首を振った。
「いいえ、事実です。一見、前と何も変わっておりません。ですが、折に触れて、あいつは身を切られるような苦悶の表情を浮かべるのです」
「え・・・?」
「町で若い娘を見かけたとき――特に、髪の長い娘などには、本人も気づいていないのでしょう。正視できぬようなのです」
 泰之丞は怖いくらい真正面から紗依を見据えた。
「あなたは、それがどういう意味か、お察しになられるでしょう?」
「それは・・・」
 紗依は思わず顔を伏せた。
 それは、紗依が期待するところの意味でとってよいのか。
 もしかしたら、違う意味があるのかもしれない。
 その彼女の不安を敏感に感じ取った泰之丞は、さらに言葉を重ねる。
「あの、女子と見たら馬鹿みたいに大騒ぎしていた男が、今は目を向けることさえできないでいるのです。若い娘を見ると、どうしても姫を・・・いえ、あなたを思い出しているのですよ」
 そういうと、そっと大きな手を紗依の肩に添えた。
「ですから、そんな顔をなさらないで。あなたには、憂い顔より笑顔のほうがお似合いです」
「棒さん・・・」
 ともするとすぐにくじけてしまいそうになる心を、励ますのではなく、大きく包み込むような泰之丞の言葉に、思わず紗依の目に涙がにじんだ。
「ありがとうございます」
 そう言おうとしたつもりなのに、うまく言えたかどうか。
 ただ、泰之丞は静かに紗依を見つめていた。
 ――――と。
「あーーーーっっ! 棒がお姉ちゃんを泣かした!」
 宿探しから帰ってきた用三郎が、涙する紗依を見て大声を上げた。
 紗依の肩に置かれていた泰之丞の手を払うと、心配そうに覗き込んでくる。
「大丈夫? 何か嫌なことされたの? セクハラ? 訴えちゃいなよ。協力するよ?」
「あっ、ち、違うの、これは・・・」
「まったく、油断も隙もないんだから、棒は」
 ぶりぶり怒りながら泰之丞を睨みつけると、用三郎は紗依の手をとった。
「さ、あっちに宿を取ったんだ。棒なんかほっといて、行こ!」
「え? あ、ちょっと・・・」
 泰之丞を置いてさっさと歩き出した用三郎につられて、紗依も彼の隣に並んだ。
後ろからついてくる気配がするので、大丈夫だとは思う。
 風を肩で切って歩く用三郎が、突然ポツリと呟いた。
「・・・棒ばっかりずるい。僕だって、お姉ちゃんには笑っていてほしいのにさ」
「え・・・?」
 不意に出た言葉に、紗依は目を見開いた。
「・・・最初は、お姫様の言葉、信じなかったんだ。未来から来た少女が自分に乗り移ってた、なんて話突然されても、はい、そうですかって、普通は信じられないから」
「うん、そうだよね・・・」
「でも、あの時僕たちが守っていたお姫様は、初姫とは違うんだ。それに、今日一緒に旅をしていて、あのときのお姫様はやっぱり紗依なんだなって分かった」
「用ちゃん・・・」
 明るく振舞いながら、そんなことを考えていたんだ・・・。
 紗依は改めて、自分がどれだけ守られた存在であるか気がついた。
「いっぱい無理言ってごめんね」
「ううん、無理なんかじゃないよ」
 用三郎はつないでいた紗依の手をきゅっと強く握った。
「お姉ちゃんには笑っていてほしいからね。できることはしてあげたくなるんだ」
 紗依が言葉を返す前に、ちょうど宿に着いたようだ、用三郎が先にたって建物の中へと入っていく。
 現代ではあまり見かけないその外見に、今更のようにここは過去なのだという実感がわいた。



 夕食は同じ部屋で取ったものの、さすがに寝る部屋ばかりは別々にしてもらった。
 お金のことを考えると、一つの部屋でもかまわなかったのだが、紗依には寝ているところを二人に見られたくない理由があったのだ。

「・・・ん?」
 用三郎は奇妙な声を耳にして、目を覚ました。
 敏感な聴力は、常人が聞き及ばない音まで拾えるのだ。
「!」
 それが隣の部屋で寝ている紗依の声だと気がつくのに、そう時間はかからなかった。
 くぐもった声は、明らかに尋常ではない。
「紗依・・・!?」
 はっとして身を起こした用三郎が、あわてて駆け出そうとしたとき。
「やめておいたほうがいい」
 ひどく落ち着いた泰之丞がそれをとめた。
 頼りない明かりに照らされた彼の顔は、恐ろしいほどの無表情だ。
 あまりに冷たい響きを持った一言に、用三郎は顔をしかめる。
「何言っているんだよ、何か苦しんでいるようだよ。何かあったんじゃ・・・」
「良く聞いてみろ」
「え?」
 言われたとおりに耳を澄ましてみる。
 はじめは途切れ途切れ単語の断片のみ聞こえてきた。
「・・・・・・ん・・・、じ・・・さ・・・・・・い・・・」
 何度も何度も繰り返されるうちに、
「!」
 ようやくその意味を聞き取れた用三郎は、はっと息を呑んだ。
「心さん・・・。お願い、行かないで・・・!」
 しばらく聞いていたが、声が途切れることはなかった。
 心ノ介を呼ぶ声。
 何とか呼び止めようと必死な様子が、はっきりと感じられた。
 紗依の心の叫びだった。
「これって・・・」
「・・・心を思って、毎夜うなされているのであろうな」
「そんな」
 愕然とする間にも、用三郎の耳には紗依の声が絶えず入ってくる。
 耳を塞ぎたくなる衝動に駆られつつも、それを抑えるようにぎゅっと拳を握り締めた。
「・・・悔しいな。こんな近くにいながら、何もしてあげられないなんて」
 おそらくここで紗依を起こしたとしても、彼女は眠るたびにまた夢の中で心ノ介を追うことになるだろう。
 それでは何の解決にもならない。
 彼女は、一体幾夜心ノ介の背に悲痛な叫びをぶつけているのか。
 その苦しみはいかばかりか。
 本人以外には推し量ることしかできない。
「本当に、このカリは高くつくんだからね」
「まったく」
 二人は、赤毛の侍を思い出しながら表情を引き締めた。
 翌日、起きてきた紗依は、開口一番。
「あの・・・昨日、私、寝言とか・・・言っていました?」
 自分でもうなされているのを分かっているのだろう。そんなことを恐る恐る聞いてきた。
 さっと彼女の声を思い出した二人であったが、しかし、二人は何事もなかったような顔できっぱりと首を振った。
「ううん? 何も聞こえなかったけど」
「ええ、よくお休みのようでしたよ」
 その言葉にほっとする紗依を、男二人は複雑な思いで見つめていた。




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