あなたにあいたい
6
「いよいよ、なんですね・・・」
少し先に見える宿屋を前にして、高鳴る鼓動を静めるように、紗依は胸に手を当てた。
何度も何度も深呼吸してみるが、どうにも落ち着かない。
昼時も過ぎたこの時間は、陽気な気候に町全体がまどろんでいる気さえするが、今の紗依とは実に対照的だった。
早々に宿を発った紗依たち一向は、途中これといった困難に遭うこともなく、目的の場所に辿り着いていた。
よどみなく歩き続ける案内人二人の後に続きながら、早く心ノ介に会いたいと願う気持ちと、会ってちゃんと自分のことが説明できるかどうかの不安が常に紗依の心中を巡っている。
こうして心ノ介が滞在しているという宿を前にしても、それは変わらない。
「大丈夫だって」
そんな紗依を察して、用三郎は明るく彼女の背を叩いた。
「好きな女の子のことをすぐに忘れられるほど器用な生き方、心にできるわけないよ」
「用ちゃん・・・」
「女運のない心に与えられた最初で最後のチャンスでしょう。大丈夫、いざとなったらこの拙者が・・・」
「あっ、それ、また! 棒、そうやって横から良いとことろうとするの、やめてよね」
まるで緊張感のない他愛ない会話を聞きながら、自然と紗依の顔に笑みが浮かんだ。
これに、何度助けられたことだろう。
逃亡中も、そして今も。
あふれる感謝の念をありったけ込め、
「ありがとうございます」
深々と頭を下げた。
常に守られているという安心感が、何度も紗依の心の不安を和らげた。
いつもいつも、助けてもらったのに、何も恩返しができなかった。
だから。
「今度、ちゃんとお礼をさせてください。今までの分、全部」
そんな紗依に用三郎と泰之丞は互いに顔を見合わせた。
いきなりの言葉に虚をつかれたのだろう。
だが、驚きの表情は長く続かなかった。
「うん、約束だからね」
「ええ、では、今度こそ、一曲お相手願いましょう」
二人の明るい笑顔に、紗依も同じ表情でうなずいた。
「では、我々は心を連れてまいります。少しお待ちいただけますか」
「は、はいっ」
「心が出てきたら、後は頑張ってね」
「うん・・・分かった」
紗依は覚悟を決めるようにぎゅっと拳を握り締めた。
本人には分からないだろうが、その瞳にはあの逃亡中に見せたような強い光が宿っていた。
それを見て取った二人は、宿屋の軒をくぐっていった。
「・・・・・・」
いよいよ近づく再会のときに、鼓動はますます速くなる。
紗依は頭の中で、心ノ介に言うべきことを何度も繰り返し確認していた。
まず、助けてくれてありがとうということ。
それから、自分はあのとき初姫の体を借りていたということ。
未来から初姫を助けるために来たこと。
そして――――心ノ介が好きだということ。
何度も何度も呼び続けていたけれど、いつも彼は振り返らなかった。
それがとてもつらかった。
しかし、こうしてまた時間をさかのぼれた。
これが最後のチャンス。
だから、今度こそ後悔だけはしたくなかった。
「ふう・・・」
何度目かのため息をついたとき、背後に気配を感じた。
「心さん!?」
はっとして振り返った紗依が見たものは――――
「ったく、あいつら、一体なんだってんだよ」
昼寝の邪魔をされた心ノ介は、寝起きで乱れた髪を掻きながら、渋々表へ出てきた。
このところ寝不足の彼の寝起きは、最悪だった。
「おまえに会いたがっている者をつれてきた。下で待っているから、早く会いに行け」
そう言って、部屋に入ってくるなり用三郎と泰之丞は容赦なく心ノ介を部屋から追い出した。
心なしか二人とも不機嫌なのは気のせいだろうか。
追い立てられて仕方なく宿から出て、それらしき人物を探していると、
「おい、そこのお侍」
まだあどけなさが残る少年に声をかけられた。
少年の隣には妹だろうか、小さな女の子がくっついている。
「何だ? おまえらが俺を呼び出したのか?」
こんな少年少女に呼び出される心当たりがない心ノ介は首をかしげた。
と、同じように向かいの少年もいぶかしげな顔で心ノ介を見上げる。
「よくわからねえけど・・・、この宿にいる赤い髪の侍にこれを渡せって、頼まれた」
ほら、と言って手紙を押し付けると、少年は女の子を連れてさっさと駆けていってしまった。
「? ラブレター・・・なわけねえか」
自分で言っていて悲しくなった心ノ介は、何気なく渡された手紙を開いてみた。
さっと目を通してから、
「なっ・・・!?」
すぐには内容を飲み込めなくて、もう一度読み直す。
「おまえの女は預かった。返してほしくば町外れの廃寺に来い」
そんな内容とともに、ご丁寧に地図まで入っていた。
気の利いたことこの上ない。
だが。
「くっ、何て卑怯な! 人質をとるとはっ! しかも俺の女を・・・・・・って、いるか、そんなもん!」
悲しい叫びとともに、心ノ介は受け取った手紙を地面に叩きつけた。
「俺はなぁっ、彼女いない歴イコール年齢なんだぞ!? それをっ、それをっっ!!」
ぐっとこぶしを握り締めて、自分の人生を振り返りつつ、涙をこらえる。
そんな彼の様子を通行人は奇異なものを見る目で、ちらちら様子を伺いつつも、そそくさとその場を立ち去っていく。
「ふざけんな、このっ・・・・・・ん?」
叩きつけるだけでは飽き足らず、やるせない気持ちを手紙にぶつけようとした心ノ介は、手紙のそばに落ちているものに気がついた。
開いたときには気づかなかったが、それは、
「・・・髪の毛?」
紛れもない。
人の髪の毛だった。
それは茶色ががっていて・・・。
「!?」
心ノ介にとある人物を思い出させた。
そもそも、泰之丞と用三郎の二人は、どこへ行っていたのか。
初姫の婚儀に呼ばれていたのではなかったか。
そこから帰ってきて、心ノ介に会いたいという人物をつれてきたという。
それは、もしや・・・。
心ノ介はもう一度手紙を良くみた。
村雨心ノ介。
宛名が書いてある。
誰かに恨みをかうようなことを、と記憶を手繰り寄せてみると、
「!」
あった。
それらしいのが。
それも、今朝。
まさか、と思いつつも自分の勘が、それしかないとはっきり告げている。
ぶつかったことがもとで因縁をつけられ、逆に叩きのめしたあの三人組。
あの時自分は名乗っただろうか、否、何も告げなかったはず。
であるのに、どうして名が知られているのか。
考え込む心ノ介の脳裏に、不意に男の言葉がよみがえる。
「覚えてろ・・・俺を・・・いや、俺たちを敵に回した恐ろしさを見せてやる」
それがあまりにも不吉な響きをはらんでいることに気づいたときには、心ノ介は走り出していた。