あなたにあいたい



「村雨心ノ介の知り合いか」
 後ろから突然そう声をかけられて、思わずうなずいた直後、みぞおちに衝撃を受けた紗依が、次に気がついたときには、そこはもうあの宿屋の前ではなかった。
「ここは・・・?」
 ぐるりと一周見渡してみるが、見覚えはない。
 どこかの建物の中だ、ということは分かる。
 そんなに広くはない部屋だ。あまり生活感がない。
 よくみると、背後に薄汚れてしまった仏像があった。
 ということは、ここは寺なのか。
 手入れもされていなかったのだろう、朽ちた木の床は、少し動くだけで耳障りな悲鳴を上げる。
 ゆっくり身を起こそうとすると、おなかの辺りに痛みが走った。
 痛みのもとを押さえようと手に力を込めて初めて、自分が縛られていることに気がついた。
 愕然とする紗依の耳に、知らない男の声がかかった。
「おい、おとなしくしてろよ」
 顔を上げると、見るからに人相の悪い男が三人、こちらを見下ろしていた。
 男たちはそれぞれ着物のはだけた部分から、白い包帯かさらしのようなものが覗いている。
 怪我でもしたのかな、とぼんやり考えていると、男たちは勝手に話しを始めた。
「くそ、まだ傷が痛みやがる」
「きっと肋骨いってますぜ、兄貴」
「ああ、こんな姿になったのも、全部あの男が悪い」
 ぶつぶつと文句をたれる男たちの後ろから、また別の男の声が聞こえた。
「いつまでも情けねえ恨み言いってんじゃねえよ。だから俺がおまえらの敵を取ってやるといってるだろ」
 どすどすと床を踏み鳴らしながら姿を現したのは、恰幅の良い大男だった。
 見るからに力が強そうだ。
 見た目と実力がつりあっているのだろう。
 三人の男たちはすぐさま口を閉ざした。
「たった一人に情けねえ。刀持ちだからって、びびってんじゃねえよ」
「で、でも、でたらめに強い奴だったんで・・・」
 一人があわてて弁解を始めると、
「やかましいっ!」
 大男は容赦なくその男を張り飛ばした。
 予期していなかった一撃に、男の体は壁まで派手に転がっていった。
 紗依を含めた、その場にいたものは思わず息を呑んだ。
「俺に口答えする奴はいらねえ。おい、そいつを捨ててこい!」
 大男は入り口付近にそう声をかけると、いつの間に集まっていたのか、やはり素行の悪そうな男たちがずらりと姿を現した。
 そして、そのうちの二人が、倒れたまま動かない男を外へと連れて行った。
 十人はいる男たちの中には、紗依に声を掛けた者も含まれている。
 と、そこで初めて大男がこちらを見た。
「あんたも気の毒になァ、村雨心ノ介の女ばっかりに」
「え・・・ええっ!?」
 心さんの女!?
 私が?
 思わず大きな声をあげてしまった紗依に、大男はぐいと顔を近づけた。
 気の毒、といいつつその顔は底意地の悪い笑みが張り付いている。
「これでつられればよし、そうでなくても・・・」
「!」
 紗依は大男の暗い瞳のうちに宿る欲望に気がついて、初めて身の危険を悟った。
 小刻みに震え始めた体を、何とか落ち着けながら、必死に考える。
 どうやらこの男たちは心ノ介に恨みがあるらしい。
 そのため、紗依を人質に彼を呼び出そうとしている。
 おそらく、宿屋の前での紗依たちの会話から、紗依が心ノ介の恋人と察したのだろう。
 だが、彼らは明らかに勘違いをしていた。
 彼の知り合いだからといって、彼の恋人だとは限らない。
 自分で考えて、紗依はショックを受けた。
 おまえの女を預かった、などとたとえ呼び出しを受けたとしても、「女」に心当たりがなければ、わざわざこんなあからさまに罠だと分かる呼び出しに応じたりしないだろう。
 もし彼が来なければ・・・。
 その先を想像してぞっと背中が凍った。
 ――――最後のチャンスなのに、心さんに会えないまま終わってしまうなんて嫌だ!
 その思いが紗依の恐怖を消し去った。
 紗依は、普段の彼女からは想像できないほど鋭い視線で大男を睨み付けた。
「・・・何だ、その目は」
 不意に大男の口調が荒くなる。
 しかし、紗依は臆することはなかった。
「てめえ、自分の置かれている状況を分かってねえのか。こちとら例の男が来ようと来なかろうと、てめえを綺麗なまま返すつもりなんざねえんだよ」
 はっきり言われると、消えかけていた不安がむくむくと膨れ上がる。
 でも、と紗依は思う。
「心さんが、あなたたちに負けるとは思えない」
 もう二度と心ノ介と会えないという絶望を抱いていた日々を思えば。
「人質をとって、大勢そろえていないと不安なくせに・・・」
 このまま自分の思いを封じたままで終わる恐怖のほうが、ずっと大きい。
 だから。
「あなたたちのしていることは間違っている。こんなことをしても、心さんには絶対勝てない!」
 こんなところで負けるわけにはいかなかった。
 たとえ、明らかに自分に力がなくても。
 いつも守ってばっかりで、何もできない。
 でも、だからといって、何もしないまま相手の思い通りになるのだけは絶対に嫌だった。
 そんな紗依の覚悟の一言に、男の反応は早かった。
「黙れっ!」
 雷鳴のような大音響が部屋中響いたかと思うと、大男の張り手が紗依の側頭部を襲った。
「きゃあっ」
 両手を拘束されており、避けるすべも持たない紗依は、自分が殴られたと認識したときには、床に倒れこんでいた。
 だんだんと薄れゆく意識の中で、愛しい人の名を呼んでみる。
 ――――心さん・・・。
 それに答えるように、遠くから懐かしい声が聞こえてきた気がしたが・・・。
 紗依の意識はそこで途切れた。



「おいっ! 俺を呼び出した奴! 出て来い!」
 全速力で走ったために乱れる呼吸を落ち着ける間も惜しんで、心ノ介は呼び出された廃寺に着くや、大声を張り上げた。
 境内にはすでに多くのごろつきがたまっている。
 それに気を留める風でもなく、心ノ介はずかずかと建物のほうへ進んでいく。
「やっと来たか」
 今にも倒壊しそうな寺を乱暴にきしませながら姿を現したのは、身の丈が心ノ介よりも頭ひとつ大きい、巨躯の男だった。
 ごつい顔には、まがまがしい笑みが浮かんでいる。
 瞬時に、自分の嫌いな人種だ、と心ノ介は思った。
「おい、人質はどうした。無事なんだろうな!?」
 一番の懸念を口にすると、その大男は満足そうに声を立てて笑った。
「もちろん、まだ生きている」
 そう言って寺の中を指差す。
 つられるように大男の指の先に視線を向ける。
 そこには――――
「!」
 いた。
 一人の少女が。
 奥はちょうど影になっているのか、良く見えない。
 ただ、こちらに背を向けていて横たわる少女の姿は見て取れる。
 確かにいたことはいた。
 しかし。
「おい、彼女に何をした!?」
 騒ぎに一切反応しないなんて、どう考えてもおかしい。
 鋭い心ノ介の視線を受けても、大男の笑いは収まらなかった。
「何、ちょっとうるさかったから、黙らせただけのこと」
 なんでもないことのように言ってのける相手に、改めて深い怒りがこみ上げてきた。
「てめえ・・・女子に手を上げるなんて、男として最低だぜ」
「じゃあ、相手が男だったら許されるのか?」
 おい、と言って呼んだのは、今朝心ノ介に絡んできた男たちだった。
 あの時は三人いたはずだがという疑問は、大男の怒鳴り声にかき消された。
「こいつらは俺の子分だ。子分を可愛がってもらった礼を、たっぷりさせてもらうぜ」
 その声とともに、境内にいた男たちが色めき立った。
 一様に己の得物を取り出す。
 大男はにやりと笑った。
「まずはてめえを動けないようにしてやる。それからてめえの目の前で、女を犯してやるか」
 高笑いする大男の表情が凍りつくのに、そう時間はかからなかった。
「やれ!」
 そう命じると子分たちがいっせいに心ノ介に襲い掛かった。
 数では心ノ介が圧倒的に不利。
 だが、心ノ介の表情は何の感情も浮かべていなかった。
 逆にそれが恐ろしいと言うことを、直後男たちは身を以って知る。
「どけ」
 静かな一言だった。
 静謐な湖面に一粒の小石が投げ込まれたときのように、心ノ介の言葉は、波紋となって男たちに届く。
 やがてそれが男たちの耳に入ったとき、
「!」
 男たちは、その一言に静かな中にも底知れぬ怒りが潜んでいたことに気がついた。
 彼らは、心ノ介が歩を踏み出すたびに、それに合わせるかのように一歩ずつ後退していった。
 誰も襲い掛かりはしない。
 そこで大男の顔色も変わった。
「くそっ、役立たずどもが! たかが一人に臆しやがって!」
 いらだたしげに地団太を踏むと、今にも寺は崩れそうになる。
 自ら動いた大男は、己の行く道を邪魔している自分の子分を容赦なく張り飛ばすと、ずいと心ノ介の前に歩み出た。
 心ノ介はその様子をじっと見ていた。
「・・・あんた、仲間の敵を討つために俺を呼び出したんだろ。何で仲間をためらいなく傷つけられるんだ」
「俺の邪魔をする奴はいらねえんだよ。こいつらは俺の言うことをきいていりゃいいんだ。そうしたら俺が守ってやるんだからよ」
 そういうと、男は諸肌脱ぎになった。
 あらわになった上半身は、見た目を裏切らずがっちりと筋肉がついている。
 己の力に絶対の自信を持っているのだろう、刃物は持っていない。
 どうやら素手で勝負をするらしい。
 このいでたちを見たら、大男が相手にしてきたほとんどの者は、恐怖で顔を強張らせてきた。
 しかし。
 今彼の目の前にいる男は、つまらなそうにため息をついただけだった。
「おまえのやっているのは、守るなんてもんじゃない」
「なんだと?」
 大男の言葉を聞いて、心ノ介ははっきり「違う」と思った。
「守るってのはな、相手が大切だから、傷ついてほしくないから、自分の体を張って危険を取り除くことだ。おまえのやっているのは、ただ自分が暴れる理由をこじつけているに過ぎない」
 ついこの間まで、命を懸けて人を守っていたから分かる。
 仕事だから。
 雇われたから。
 そんなことが、彼女を守る理由にならなくなったのは、いつからだろう。
 それと分からないほど自然に、心ノ介は彼女に惹かれていった。
 迫りくる危険に負けまいと必死に頑張る姿を見て、何度抱きしめたいと思ったか。
 あのときのことを思い返すと、捨てたはずの彼女への想いが膨らんでいく。
 ―――― 一度は思いを断ち切ったはずだったのに。
「卑怯な手を使って、女に手を上げる奴には手加減しねえ」
 心ノ介はすらりと刀を抜いた。
 白刃が午後の日差しを受けてきらめく。
「さあ、かかってきな」
「いわれるまでもねえ!」
 大男は見かけによらぬスピードで突進してきた。
 まるで凶暴な牛が迫ってくるがごとき迫力に、思わず仲間である子分のほうが息を飲んだ。
 大男が自分の力に寄せる信頼はここから来ている。
 つまり、刃物を振るわせる前に、相手に致命的なダメージを負わせることができる、と。
 そんな自信を裏付けるかのように、今まで戦ってきたものに勝利してきた大男からは、直後、自分が地面の上に叩きつけられようことなど、想像できなかっただろう。
「遅え!」
 迫りくる大男に、ひるむどころか自ら突っ込んでいった心ノ介は、相手の渾身の一撃をあっさりとかわすと、
「はああっ!」
 気合とともに刀を振り下ろした。
 ゴキ、という恐ろしい音とともに、
「ぎゃあああっ!」
 己の右肩を砕かれた痛みに、大男の口から悲鳴が上がった。
 突進のときの勢いも手伝って、派手に倒れこむ。
 もうもうと立ち上る砂煙が、ゆっくりと風に流されていっても、子分たちは呆然とその場に立ち尽くし、誰一人動けるものはいなかった。
「おい」
 見かねた心ノ介が声を張り上げる。
「親分の敵がとりてえなら、誰でもかかって来い」
 しかし、誰も名乗りをあげるものはいない。
 血気盛んな男たちでさえ、今の鮮やかな一撃に恐れを抱かぬものはいなかった。
 ふう、と息をついた心ノ介はもう一度あたりに響き渡る声でこう言う。
「誰もかかってこねえなら、さっさと親分を医者に連れて行ってやるんだな。それと、二度と彼女を巻き込むな」
 とっさに刃を返したため、大男は死んではいない。
 だが、打ち砕かれた右肩では、もう本来の力は振るえまい。
 心ノ介の言葉とともに、子分たちは大男を五人がかりで担ぎ上げると、蜘蛛の子を散らすように一斉にいなくなってしまった。
 あたりに男たちの気配が消えたときには、心ノ介は建物の中へ駆け込んでいた。
「お姫さん!」
 暗がりでよく見えなかった少女に、自分でも知らぬうちにそう呼びかけた。
「大丈夫か!?」
 あわてて抱き起こした心ノ介は、刹那、
「――――え?」
 大きく目を見開いた。




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