雪月譚  6






「花梨! 昨日の事件の犯人が捕まったぞ!?」

 翌朝。
 まだ花梨が床の中から出たばかりの部屋に、興奮気味の勝真が飛び込んできた。
 あわてて身支度を整えると、花梨は眠い目をこすりながら勝真に向き合った。

「へえ、良かったですね」

「起きろ、いつまでも寝ている場合じゃないぞ」

 そんなこと言われても、昨夜は色々と大変だったんですよ、と喉まで出掛かった言葉を、花梨はあわてて飲み込んだ。

 女の霊のことは公にしないほうが良いだろうという幸鷹の判断で、その話はその場にいた四人は互いに口を閉ざすことを確認しあったのだ。
 泰継は、幸鷹のまじないのことを考えれば、口を割ることはないだろうし、幸鷹や彰紋だって余計なことは絶対言わない。
 一番危ないのは自分だと自覚している花梨は、うっかり口を滑らせてしまわないよう口元を押さえた。
 そんな花梨に気がつかない勝真は、やや早口にまくし立てた。

「どうやらさる大臣がやらかしたようだな。何でも右京に出向いた先で女を轢いて、遺体を近くの屋敷の庭に埋めたらしい。自分は手を出さずに部下がやったらしいが、埋められた女の遺体が件の大臣の檜扇を持っていたところから足がついたらしい」

「へえ」

「今朝の内裏はてんてこ舞いだったな。どうやら出仕した大臣を、幸鷹殿が取り押さえたらしい。あの別当殿があれほど激昂するのを初めて見た、と役人たちは口々に言っていた」

「それは、すごいですね」

「しかも、その場に居合わせた彰紋も、身の潔白を必死に訴える大臣に向かって、二度と顔も見たくないと冷たく言い放ったそうだ」

 そんな二人の姿の想像してみるが、常に優しく接してもらっているせいか、さっぱり像を結ばない。
 だからこそ余計に、内裏を騒がせているのだろう。

「まあ、彰紋の怒りももっともだな。件の奴らに部下も殺されたんだからな」

「えっ、そうなんですか?」

 それは初耳だ。
 確か、彼はあの霊とともに浄土へ行ったはずだが。
 初めて見せた驚き顔に、勝真は神妙な面持ちでうなずいた。

「ああ、どうやら女を埋めたことをひどく恐れていたようでな。その屋敷を絶えず見張っていたそうだ。それで、たまたま通りかかったところを、女を探索しに来たと勘違いされて、殺されたらしい。本当にひどい奴らだ」

「・・・・・・」

 どうやら幸鷹は昨日の朝の事件の罪も押し付けてしまうつもりらしい。
 殺された彼の供の者の証言とは食い違う結果になるような気がするのだが、大丈夫なのだろうか。
 あるいはこの件に関しては彰紋もかかわっているのかもしれない。
 二人はどうあっても許すつもりはないらしい。
 多少の矛盾は強引に押し通してしまうだろう。そんな気がした。
 もう一人真実を知る陰陽師はこの件に表立ってかかわらない代わりに、完全に沈黙を通すだろう。
 
 ・・・完全犯罪の完成だなぁ。

「ともあれ、事件は解決だな。何か、昨日俺たちがしていたことは無駄になってしまったな」

「そんなことありませんよ。犯人は捕まったんですもの。悪いことなんてありません」

 そうだな、と勝真は納得したように笑いをこぼした。
 世の中、知らないほうが良い事実というのもあるのだ。
 花梨は必死に自分に言い聞かせた。
 花梨が、幸鷹や彰紋を怒らせるような真似はしないよう気をつけよう、と心に決めたのと同時に、

「花梨、起きているか?」

 緋色の長い髪をなびかせながら、イサトが顔を出した。

「あ、イサトくん、おはよう」

「ああ、あれ。勝真もいたのか」

「いたのかって、お前」

 イサトは火鉢の近くにどさり、と腰を下ろすと前のめり気味に、

「今朝はすごい話を持ってきたぞ」

 うきうきとした様子で、目を輝かせながらそう切り出した。

「うん? どうかしたの?」

「何だ、内裏での騒ぎでなら、もう知っているぜ」

 勝真の言葉を、そんなんじゃねえよとイサトは一蹴した。

「違う、そんなんじゃない。いや、それもかかわっているといえばかかわっているか」

「え? 何?」

「ふっふっふ、聞いて驚け」

 興味津々のまなざしでイサトの話に乗ると、彼は得意げに胸を張って高らかに言った。

「今回の一件、どうやら幸鷹と彰紋が取り合った女を殺されたから、二人とも死ぬほど怒っているらしいぜ」

「えっ、ええ〜?」

 いつの間にそんな話になったのだろう。
 まさかと疑いのまなざしを向けると、イサトはむきになって反論した。

「ホントだぜ。市でみんな言ってからな」

「あの・・・私は、幸鷹殿が昔思いを寄せておられたのが件の女性で、その女性を彰紋様が庇護されることに対してもめていたところの、不慮の事故だと伺いましたが・・・」

「も、泉水さん!?」

 いつの間にか部屋にはもう一人増えている。
 いや、さらにもう一人。
 口を開かなかったため、気づくのが遅くなったのだ。
 もしかしたら泉水よりも先にいたかもしれない彼に、花梨は手招きをした。

「頼忠さんも、どうぞ、こっちのあたたかいほうへどうぞ」

「お気遣い、痛み入ります」

「泉水さんも、どうぞ」

「ありがとうございます、神子」

 花梨は火鉢の近くに二人分のスペースを作ると、そこに二人を促した。
 二人が落ち着いたところで、花梨は先ほどの話に、改めて首をかしげる。

「それにしても、何でそんな話が出てきたのでしょうね」

「何でって言われても、みんな知っているってことは、そういうことなんだろ?」

「ふうん、あの二人がねえ・・・」

「えっ」

 さらに別の声がして入り口を見ると、そこにはそこの見えぬ笑みをたたえた翡翠まで立っていた。
 声をかけられるまで誰もその気配に気がつかなかったのだから、油断ならない。

「あっ、翡翠さんも一緒に座りませんか?」

「いや、私は文を届けに来ただけだよ。・・・件の別当殿から預かった、ね」

「!」

 今まさに話題になっていた人物からの文、ということで、自然全員の視線が翡翠の手元にある紙に向かった。
 それがゆっくりと花梨の手元へと移る。

「返事は要らないと言っていたから、今日はこちらに来られないという内容だろうね。・・・あるいは」

 ふふふ、と笑っただけで翡翠はその先を言葉にしなかった。
 渡すだけ渡すと、本当に翡翠は帰ってしまった。
 相変わらずマイペースな男である。
 しかし、このときばかりは去っていく翡翠よりも、一同の関心は花梨の手にある文へ向いていた。
 かすかに侍従の香りが部屋を漂う。
 忙しい身であろうが、屋敷に来られないという文をわざわざ寄越してくるとは、さすがにまめだと思った。
 
 ・・・今日来られないことは、分かっていたんだけどね。

 無言の圧力に耐えかねて、花梨はそそくさと文を広げた。
 さすがに人の文を覗き込むような無粋な真似をする者はいなかった。
 ただじっと、花梨の反応を見詰めている。
 文の字は花梨にとって大変読みやすかった。
 少しも崩れぬ筆跡は、幸鷹の性格を現しているようだ。
 彼の記憶が全て戻った今、花梨が慣れ親しんだ平仮名や漢字を書くなど、幸鷹には造作もないことだ。
 そんな彼の優しさと、生まれ故郷を同じくするという共通点を感じられる嬉しさが交錯する。
 何気なく読み進めた花梨は、・・・文を落としそうになるのを必死にこらえた。
 一瞬その内容に目を疑った。

「どうした?」

「なあ、花梨。何て書いてあったんだ?」

「い、イサト殿、それではあんまり・・・」

「何だよ、泉水だって知りたいだろ」

「そ、それはそうですが・・・」

 文の中身に衝撃を受けた花梨は、八葉があれこれと言い合っているのを遠くで聞いていた。
 うそか冗談かと思ってもう一度読んでみるが、やはり同じことが書かれている。
 
 ゆ、幸鷹さん、これって・・・。

「神子殿?」

「えっ? は、はいっ!」

 とっさに文を背中に隠して、花梨は精一杯平静を装った。
 こればかりは誰にも見られるわけにはいかない。

「な、何ですか?」

「だから、その文の内容。幸鷹は何だって?」

 いつしか全員の目が花梨に向いていた。
 その、好奇に満ちたことと言ったら。
 花梨は上気した頬に活を入れるように、強い口調で言い切った。

「もう! 今日はこっちに来られないという内容です!」

 その返事に、一同が軽く肩を落としたのは言うまでもない。









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